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2019年2月19日火曜日

わたくしごとではありますがm(。_。)m🙇父が亡くなりました。

みなさま、いつも閲覧頂きありがとうございます。

二月上旬に、私の父が亡くなりました。
一年以上前に、脳梗塞で倒れて、
その後、何度か危篤状態になりましたが、
持ち直したものの、寝たきりとなり。
療養型の病院に長期入院していました。

気管切開をして、喋れなくなり、
ご飯も食べれなくなり、
高濃度の栄養を点滴で受けていました。
体は、ほぼ、動かせませんでした。

ただ、左手の親指だけは、いつも動かしていました。
意識はありました。
仲の良い友人や、親戚が訪ねると、
目玉をくりくり動かして、
とても、嬉しそうにしていました。

私は出来るだけ、毎日、病院に行き、
父の顔を見に行きました。

行けない時もありました。
でも、忘れた事はありません。
これからも、忘れません。
忘れられません。

大好きでした。
父が倒れてから、
「わたしって、ああ、こんなに、
お父さんのこと、好きだったんだって」

はじめて、知りました。


倒れてすぐ、救急の病院で、
担当の女医先生が言いました。
普通は、高齢な患者さんには、
無理な手術は行わないんです、と。
でも、助かる可能性にかけて、
寿命を伸ばすための手術を
行おうと思います、と。

最初は、カテーテルの手術をしましたが、
術後、意識が混濁して来ました。
そのため、父は、後頭部の頭蓋骨を、
一部外す手術をしました。

父が手術を受けたとき、八十九歳でした。
その後、頭の中にパイプを通しました。
その後、感染症にかかり、
一時、危篤状態になりました。

父の意識レベルは低く、
自分で呼吸出来なかったため、
ずっと、人工呼吸器を付けていました。

父は、ペースメーカーを付けていました。
父は、元々、無呼吸症候群の症状がありました。
眠っている間に、何度も何度も呼吸が
止まるのです。

父は、やがて人工呼吸器を外されて、
救急病院を退院しました。
そして、療養型の病院に転院したのです。

病院の方は、みなさん良くして下さいました。
父は、ペースメーカーの電池が切れかかって
いたのですが、病院の院長先生が、
専門分野だったので、取り返え手術をして下さいました。

それから、父は、呼吸が少し楽になったようです。
会いに行くと、こちらを見て反応するような
表情も出来るようになりました。

秋になり、父は、90歳となり、卒寿を迎えました。
冬となり、
父の体は少しずつ、冷たくなって行きました。
真冬となり、
父は、低体温症になっていました。

いつも、看護士さんが、足元に、
二つ、湯タンポを入れてくださいました。
父を大事にして下さって、本当にありがとう。
感謝しています。

私はいつも、ラジオを付けてました。
父が退屈しないように。
そんな思いでした。
父は、最後まで、一生懸命に戦っていました。
意識が遠くなっていくのを感じて
いるかのように。

わたしに何か、言いたそうに、
口を開いて、喋りたい事があるような
しぐさをした時がありました。

今、思うと、あの時、
自分の死期を感じていたのかもしれません。
父は、眠るように息を引き取りました。
父は、半分、目を開いたまま、
また、口を半分開けたまま、
穏やかな顔で、霊仙へと旅立ちました。

最後は苦しまずに済みました。
それは、わたしの願いでもありました。
苦しまずに、逝けますように。

また、会おうね、お父さん。
わたしは必ず、あなたに会いに行きます。
生まれ変わったら、必ず。
わたしはあなたを見つけます。


父は、地球2周分をゆうに越える記録を持つ、
高齢者のランナーでした。
「花咲くランナーじいさん」です。
大勢の方にお世話になりました。
ありがとうございました。






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